オレンジのR+ //
2007.11.20 [Tue] + World Repots +
【必読】【実話】世界中の何百万もの命を救った、ある男の話。

この記事を見つけて読んだとき、なんとも言えない気持ちになった。。

おそらくほとんどの人が知らないことでしょう。
もちろんあたしも知らなかったし、
この記事を読んだアメリカの人の反応も一様に『全く知らなかった』。
もちろんそれは外部からの様々な圧力があったりするんだけどね。

知っていますか?
世界の何百万、何千万という命を救った、ある男の話。
第三次世界大戦がまさに開始されようとしていた、ある寒い夜の話。
そして、彼が迎えた結末とは――――――。


     *    *    *    *

これはまだ冷戦下の旧ソ連とアメリカが一発触発状態にあった頃のできごと。

1983年9月1日、JFK空港からソウル行き大韓航空007便が飛び立った。飛行も半ば、誤って旅客機が旧ソ連領空に踏み込んでしまったとき、旧ソ連のジェット戦闘機が現れ、旅客機に接近してきた。旧ソ連側はそれが民間機とは知らず、パイロットに身分提示の呼びかけを行ったが、応答はなかったという(理由は不明)。

その後ジェット戦闘機は1時間ほど旅客機をマークしていたが、旧ソ連領空を出たところでミサイルを放った。乗員乗客合わせて269人を乗せ、3万5000フィート上空を飛行していた旅客機は、攻撃を受けて全員が死亡。その中にはアメリカの下院議員や多くの日本人もいたという。旧ソ連領空を出てからわずか90秒後のことである。

この事件に関して、一説では民間機は何も警告を受けてないとも言われており、さまざまな憶測が飛び交うものの、いまだは真相は明らかにされていない。詳しくはコチラ→大韓航空機撃墜事件(wikipedia)

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旧ソ連側は彼らの犯した『アヤマチ』をなんとか弁護しようとやっきになったが、当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンは一連の旧ソ連の対応について“野蛮”で“決して忘れることのできない、非人道的行為である”と評した。

二大強国間の緊張はますます高まり、ついに1983年9月15日、アメリカ政府は旧ソ連に対してアメリカ領空への進入を禁止した。険悪ムードはいよいよ最高潮に達し、攻撃開始も時間の問題と思われた。




     *    *    *    *

その日、1983年9月26日はとても寒い夜だった。
モスクワの西の町、セルプホフ(Serpukhov)15地区のトーチカでは、Strategic Rocket Forceの空軍中佐Stanislav Yevgrafovich Petrov氏が友人のシフトの代役として旧ソ連の領空をモニタリングしていた。

真夜中を過ぎたころ、Petrov氏はコンピューター計器を見て、今まで経験したことがないほどの恐怖を覚えた。アメリカがモスクワに向けて核ミサイルを設置したことに気がついたのである。もしアメリカが攻撃を始めたら、我が国は直ちに持てるすべての核武器を投じて全力で反撃を開始し、両者は全面戦争へと突入するだろう。―――これがアメリカの出した結論なんだろうか。

コンピューターから情報が送信されると、すぐに旧ソ連軍の衛星は核ミサイルを特定した。トーチカ中にアラームが鳴り響き、警報灯が辺りを赤く照らし出した。


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Stanislav Petrov氏。
世界を救った男。


Petrov氏は状況判断をしかねていた。
もしアメリカが攻撃を始めたら最後、反撃の余地すら与えられないだろう。核ミサイル一つで十分すぎるほどの破壊力がある。それをさけるためには、先手を打つしかないだろう。しかし・・・アメリカへの攻撃命令を出してよいものだろうか?もしかしたら核ミサイルの発見は単なるコンピューターエラーのせいではないだろうか?

ところが、ほどなく状況は深刻化した。衛星が2つ目の核ミサイルを発見したのだ。トーチカの指揮官たちは攻撃態勢の準備と軍備増強を指示するようPetrov氏に迫った。そして3つ目のミサイルが見つかり、続いて4つ目。まもなく5つ目の核ミサイルが特定された。トーチカの誰もが皆、すでにアメリカは自分たちを射程圏内に捉えているのだろうと思っていた。


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Petrov氏の心は揺れていた。
軍事規定を無視して自分の直感を信じるか、反撃に備えるか―――しかしそれは何百万人もの犠牲を払うことになるだろう。そしてついに彼はコンピューターエラーだと判断したのである。
もちろん心の奥では分かっていた。もし直感がはずれれば、まもなくモスクワにミサイルが降り注ぐに違いない、と。

それから何秒、何分と時は過ぎ―――。
Petrov氏の判断は正しかった。すべてはコンピューターエラーのせいだった。彼は世界を巻き込む核戦争が開始されるのを防いだヒーローだった。皆、彼のすばらしい判断を褒め称えた。

しかし当然のごとく旧ソ連のトップ幹部たちはこの一件を快く思うはずがない。彼は軍事規定を破ったあげく、もし読みが外れていたら何百万人もの国民の命が奪ばわれていたのだ。―――そうしてPetrov氏はわずか月$200ドル(約2万円)の恩給と共に早期退官に追い込まれ、神経衰弱をわずらってしまった。

このPetrov氏の英雄的決断は軍のトップシークレットとなった。1998年に元トーチカのロシア人司令官が本を執筆するまで、大方の予想を超え第三次世界大戦開幕の危機はすぐそこまで迫っていたこと、核による大量殺戮がぎりぎりで回避されたことなど知っている者は誰もいなかった。


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もし自分があのとき友人の代役を引き受けてなかったらどうなっていただろうか―――当時を振り返るStanislav Petrov氏。


Petrov氏に対して、アメリカはそのような状況の中でもあえて核戦争を招くような事態を避けた彼の英断に敬意を称し、ロシアでさえ何百人ものアメリカ国民の命を救った彼の選択には共感を示している。

2008年にはタイトル『The Man who saved the World(世界を救った男)』というドキュメンタリー映画が公開される。おそらくPetrov氏には金銭的援助の手が差し伸べられるだろう。

     *    *    *    *

1983年、モスクワのとても寒い夜に起きたできごと。
最悪の状況に置かれた44歳の軍司令官が世界を救うため、今世紀最も世の中に影響を与えるような英断を遂行し、かつてないほど膨大な数の命を救った。

おそらく、多くの人々は知らないだろう。わたしたちがよく知る今日の世界が在るのは、Stanislav Petrov氏のおかげだということを。


[source:24 years on - The man who saved millions of lives]



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