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2007.10.30 [Tue] + Photogragh +
世界を変えた報道写真Ⅲ

トンと放置しておりました。
いつぞやの世界を変えた報道写真Ⅰの続きになります手書き風シリーズ汗1


対日戦勝記念日(V-J day) [1945]

thekisssu6.jpg
By Alfred Eisenstaedt


第二次世界大戦の終結の日:V-J day。この日、アメリカ中のいたるところで人々は歓喜に沸き、友情と栄誉を称え合っていた。
Life誌を代表する写真の一枚、"The Kiss"はタイムズ・スクエアである水兵が若いナースにキスをしているところを撮影されたもの。実はこの水兵、そこで会う人会う人すべての女性にキスをしていて、この写真のキスのあとには彼女にひっぱたかれたんだとか。。
他にもVJ Dayの有名な写真として"Dancing Man"があります。>> 動画

対日戦勝記念日について
対日戦勝記念日(Victory over Japan Day、VJ Day)とは連合国の第二次世界大戦における日本に対する戦勝記念日のこと。1945年9月2日にミズーリ号上で日本が正式に降伏文書調印したのを受け、当時アメリカ大統領だったトルーマンがこの日ををVJ Dayとする、と宣言した。

ところで、最後の太平洋戦線枢軸国であった日本の降伏をもって第二次世界大戦終結とされていますが、各国で定められた『終戦の日』は、ポツダム宣言の受諾通告と終戦の詔書の発布のあった8月14日や、ポツダム宣言受諾の降伏文書に調印した9月2日、あるいはそれらの日の翌日の8月15日、9月3日などさまざまです。興味深いですね。
詳しくは >> [Wikipedia - 終戦の日]

私たちにとって戦争が終結した日といえば、8月15日。そして戦争の終焉とヒロシマ・ナガサキへの原子爆弾投下は切っても切り離すことはできません。そしてこの時期くりかえし流れる戦争特番を目にする度に、犠牲になった多くの尊い命について考え、二度と戦争をしてはいけないという思いを強くします。では他の国にとって終戦の日とは何なのか。中央大学・宇佐美毅研究室さんのエッセイ“VEデイとVJデイのこと(ヨーロッパ戦勝記念日と対日戦勝記念日に考えたこと)”には考えさせられます。何が正しいとか議論する気もなく、言えるのは戦争は命を奪っていくということだけ。


数学者のピーター・フランクルが、「国際人の条件は英語が話せることではありません。国際人の条件は、とても大切な外国人の友だちを少なくとも一人持っていることです。」と言っていたことを思い出す。


この言葉、とってもすてき!
すきなことばリストに加えておこう♪





湾岸戦争 [1991]

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By David Turnley


湾岸戦争中の若いアメリカ兵が人目もはばからず泣いているのは、彼の隣にある死体袋に入っているのが "friendly fire"によって殺された、自分の親友だと知ってしまったから―――。"friendly fire"とは、味方の砲撃・友軍の誤射のことです。
ピューリッツァー賞に4度もノミネートされたデイビッド・ターンリー(David Turnley)によって撮影されたこの写真は、1991年の湾岸戦争を象徴するイメージとして広く知られるようになりました。>> 動画

この頃になるとさすがに自分の中の記憶とリンクしてきます。Wikipediaの記事を読んでいても、出てくる名前に覚えがあるし。とはいえ1991年といえば小学3年生、湾岸戦争といえばリアルな戦いのシーンよりも『重油まみれの海鳥』のイメージなんですが、これもプロパガンダの一環だったなんて。


CNNなどで初めてリアルタイムで戦争が伝えられ、まるでテレビゲームのようにミサイルが正確に目標に命中する映像から、"ニンテンドー"がテレビゲーム一般の呼び名(語源は日本のテレビゲームメーカーの任天堂)となっている欧米では、「Nintendo War(ニンテンドーウォー/任天堂戦争/意訳:テレビゲーム的な戦争)」とも呼ばれた。
   *    *    *    *
なお、この戦争では任天堂からアメリカ軍へ、「ゲーム会社が出来る唯一の戦時支援」として、当時発売されたばかりのゲームボーイが数万台送られ、現地兵士の暇つぶしとして役立ったといわれている。戦後、空爆を受けて倒壊した家から、表面が焼け爛れたゲームボーイが発見されたが、ゲームの起動にはまったく支障が無かったという話も残っている。[Wikipediaより]

なんかアイロニック。


The Falling Man [2001]

thefallingmanxy4.jpg
By Richard Drew

9月11日、燃えるWTCから今まさに飛び降りた男。Richard Drewが撮影したこの『falling man』と題された衝撃的な写真は、新聞に掲載されるやいなや読者からの反響や批判が殺到し、それ以来二度と表に出ることはなかった。
これらのさまざまな反響に対し、撮影者のDrewは「この写真は9.11が人々の人生にどんな影響を与えたのか、それを示唆してくれるとても重要な一枚だと思っている。私はこの男の死を撮ったのではない。彼の人生の一片を捉えたのだ。これは彼が選択した決断であり、私はそれを受け止めたのだ。」>> 動画

実は私、9.11関連のものはDVDだけでも4本観ていてさまざまな角度からの捉え方を一通り見たなぁと思っているのですが、この『falling man』を扱ったドキュメンタリーが一番つらかったです。キツかったし、苦しかった。
たとえば「ユナイテッド93」でググると、中には『これはブッシュのプロパガンダ作品だから泣いてはだめだ!』とかそんな意見も見つかりますが、そんなのどうでもいいって思うくらい。悲しいとかかわいそうとか悲惨だねとかテロへの怒りとか戦争だめとか、そんなレベルじゃなく、ただただ人の命が無抵抗に奪われていくことがつらかったです。思わず目を背けてしまうほどに。そしてこれが9.11のすべてだと思います。

9.11関連のレビューは時間があるときに書こうと思うので、この辺で。そのDVDの紹介文を載せておきます。


9.11アメリカ同時多発テロの翌日、世界中の新聞に掲載された1枚の写真にまつわるドキュメンタリー。ワールド・トレード・センターから飛び降りた人々の映像は、なぜメディアから消えたのか。残された家族やジャーナリストたちが事件の全貌を語る。AP通信によって配信され、その後、非難と反発を受けて否定されていた写真を通じて、9.11のテロを読み解こうと試みるドキュメンタリー。
あの日、ワールド・トレード・センターの上層にいて炎と煙に追われ、自ら落下を選択した人々が、アメリカ国内において実は名誉を問われていたといういささかショッキングな要素を含んでいる。あの状況下でのあの選択を自殺であるとする判断はかなり奇異に感じられたが、アメリカのファンダメンタルな人々はそう考えるのであろうか。そうであるとすればなおさらだし、そうでないとしても、9.11後の精神状態を解釈する上で重要な視点を提供している。

こちらもオススメします)


硫黄島の星条旗 [1945]

745pxww2iwojimaflagraisrb2.jpg
By Joe Rosenthal


1945年2月23日に撮影された硫黄島の擂鉢山に星条旗を立てる有名な一枚の写真。

硫黄島の星条旗(Raising the Flag on Iwojima)は第二次世界大戦中の1945年2月23日にジョー・ローゼンタール(Joe Rosenhtal)によって硫黄島で撮影された報道写真。五人のアメリカ海兵隊員と一人の海軍兵が硫黄島の戦いのさなか、摺鉢山(すりばちやま)の頂上に星条旗を立てる姿を撮影したもので、史上もっとも有名な報道写真の一つである。現在にいたるまで「戦争」のイメージとしてよく知られたものとなり、1945年度のピューリッツァー賞の写真部門を受賞した唯一の写真となった。写真に写っている六人のうち、三人は硫黄島で戦死したが、他の三人は生き残って一躍有名人となった。後にこの写真をもとにアーリントン国立墓地に海兵隊記念碑がつくられた。

>> 動画

硫黄島といえば、巨匠クリント・イーストウッドが日米双方の視点から捉えた二部作が話題になりましたが、私は「父親たちの星条旗」と他にも硫黄島からの生還者のドキュメンタリーを観ています。この写真によって一躍国民のヒーローとなったアメリカ海兵たちも、生還して今家族とともにおだやかな日々を暮らしている方々も、胸中はひどいSurvivor's guilt(サバイバーズ・ギルト)に苦しめられ続けているんですよね。。年をとればとるほど、間近な記憶は抜けやすくなり、遠い昔の思い出ほどあざやかに繰り返しよみがえる。それがあの頃の記憶であることの残酷さは想像を絶するものでしょうに。。

日米双方の視点から描いた硫黄島2部大作「合同公式HP
祖父の硫黄島戦闘体験記


超高層ビルの天辺で昼食 [1932]

20070721185136.jpg

この有名な写真は1932年9月29日にロックフェラーセンターGEビル、建設中の69階の大梁上で11人の労働者たちがランチを食べているときのもの。

p.jpg
By Charles C. Ebbets
その11人がこんどは大梁の上でお昼寝をしているところ。>> 動画① / 動画②

昼寝・・・。
なぜそこで昼寝・・・。


移民の母 [1936]

migrantmotherjw9.jpg
By Dorothea Lange


"Migrant Mother"として知られる、世界恐慌のアイコンにもなったこの有名な写真は、当時32歳だったFlorence Owens Thompsonが写っている。7人の子供を抱え、生きるために鳥を捕まえたり、果物をとったりして飢えをしのいでいた。そしてFlorenceはこどもたちにフルーツを与えるためについにテントまでも売ってしまうのだが、この写真はそのあと撮影されたものだという。
アメリカ国中の有名な新聞のトップに掲載されたこのDorothea Langeが撮影した写真は、やがて人々は移民に対する考え方を変えていくようになる。 >> 動画


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