オレンジのR+ //
--.--.-- [--] + スポンサー広告 +
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


// no tags

| --:-- |


2007.06.29 [Fri] + Photogragh +
世界を変えた報道写真Ⅰ

人はおろかにも悲劇を繰り返す。
そして過去の痛みを忘れ、美化しようとさえする。

あたしは、知りたい。
そこにどんな人のいやらしい一面がにじみ出ていたとしても、知りたい。
そこから学び取るものを知恵と呼ぶ。

忘れてはいけない歴史がある。
"Images That Changed The World ?"を何回かに分けて紹介していきます。

*タイトルをクリックするとWikipediaに飛びます。関連動画も合わせて紹介。


ベトコン捕虜兵の処刑 [1968]

executionofavietconggueus4.jpg
By Eddie Adams


1968年2月1日に起きたテト攻勢の最中、当時の南ベトナムの警察庁長官グエン・ゴク・ロアンがろくに裁判もしないまま、解放戦線容疑者グエン・ヴァン・レムを多くの報道陣の目の前で自らが射殺した。
AP通信カメラマンのEddie Adamsによって撮影されたこの衝撃的な光景が世界に報道されるやいなや多くの反響を呼び、アメリカ国民の間には「こんな政権を支持すべきでない」と反戦ムードが高まるなど多大な影響を与えることになった。後にこの写真はピュリツア―賞の報道写真部門賞を受賞した。



黒人男性リンチ殺人 [1930]

Thelynching.jpg
By Lawrence Beitler


この有名な写真は、1930年に撮られたもの。白人女性をレイプしてその恋人を殺した若い黒人が1万人もの白人たちの群集によって牢屋から連れ出され、集団暴行を受けて木に吊るされた。『もしこのリンチ写真が白人至上主義者をあおるために作られたのだとしても、拷問された死体とそれをうれしそうに囲むグロテスクな集団は悪趣味以外何者でもないだろう。』 >> 動画



ソウェト蜂起 [1976]

sowetoriotsrs4.jpg
By Sam Nzima


1976年6月16日、ソウェトでは学生たちが「アフリカーンス語(オランダ系の移住民が使う言葉)強制」に反対する抗議集会とデモを展開。彼らは武器ももたず、平和的にデモを行っていたにも関わらず、警察隊が出動した。
ひとりの白人男性の警官が銃を発射したことで、その場はパニックと大混乱になり、約300人もの死傷者を出す流血の惨事へと発展した。
その後、それを契機にれをアパルトヘイトへの抗議運動が南アフリカ全土に拡大していった。最初の犠牲者となった13歳の少年ヘクター・ピーターソンを抱きかかえた写真は、警察の暴力のシンボルになった。 >> 動画

アパルトヘイト(人種隔離政策):
オランダ語で分離、隔離の意味で人種隔離を目的とした差別的政策の総称。様々な法律からなり、白人をあらゆる面で優遇し、有色人種(カラード、インド系、黒人)を差別する政策。様々な公共施設で白人専用と有色人種専用とに分け、人種毎に住む地域を分けた。異人種間での婚姻も禁止されていた。

アパルトヘイトとはどんなものだったのか、恥ずかしながら初めてちゃんと理解した。
まだまだ知らないことが多いなぁ、自分。

リトルロック危機 [1957]

littlerockme8.jpg
By Will Counts


1957年リトルロックにある「アメリカで最も美しい」と絶賛されたセントラル高校を舞台に黒人生徒の公立高校編入をめぐる「リトルロック危機」が起こった。
公民権運動の後押しを受け、事実上は白人だけが通うの高校に入学することになった9人の黒人生徒に対して、反対派は妨害行為をいやがらせを繰り返し、人種差別主義の州知事は州兵を動員し力ずくで黒人の生徒の登校を拒否する。ついには当時のアイゼンハワー大統領や軍隊までも巻き込んだ騒動となった。
そんなプレッシャーにさらされる中、自分たちが入学、卒業することで、後に続く黒人たちに希望とチャンスを与えることを自覚し、勇気ある行動をとった9人の黒人生徒は『リトルロック・ナイン』と呼ばれ、今でも尊敬されている。 >> 動画

写真は、初登校しようとするリトルロックナインの一人、Elizabeth Eckford(エリザベス・エクフォード)の後ろに続いて、白人たちが口汚なく罵っている光景。

リトルロック危機に関して「公民運動・史跡めぐり」さんに詳しい記事が書かれているので、ぜひチェックしてみてください。
リトルロック・ナインの勇気は賞賛に値します。



トライアングルウェストシャツ工場の火災 [1911]

triangleshirtwaistvw1.jpg

NYトライアングル・シャートウェイスト・カンパニー社の従業員は主に移民労働者で、劣悪な労働環境を強いられていた。雇い主は盗難防止を理由にいつもドアをロックしていたが、これは従業員たちが組合を作らぬよう管理するためと言われている。
1911年3月25日、同社の工場の8階から火災発生したとき、避難しようとした従業員たちの前にロックされたドアが立ちふさがった。唯一の出口であった非常階段は従業員が殺到したため重みに耐え切れず、階段自体が折れてしまった。消防車が到着してもはしごは上の階まで届かず、ファイヤーネットもまるで役に立たなかったという。この悲劇的な火災はわずか30分足らずの間に146名の命を奪っていったが、その半数は苦しさのあまり飛び降りて死亡した犠牲者であった。
目撃者は「はじめはオーナーが高級な製品だけ窓から外に投げているのかと思いました。よくよく見ていると、それは窓から飛び降りる従業員だと気がつきました。」と話す。
この出来事は、アメリカ合衆国の労働法に深い衝撃を与え、労働条件の改善が要求されるようになった。 >> 動画

コーネル大学による、火災や当時の労働環境などをまとめたトライアングル・ファイア事件の参考ページ。
よくできていると思います。

この事件に触れるたびにホテルニュージャパン火災が思い出す。
このときもあまりにずさんな防火対策不足に非難が集中し、改めて設備点検や防火訓練などが見直されるきっかけになりましたよね。
リアルタイムでの記憶はまったくないけれど、プロジェクトXを見て泣きました。


ファン・ティー・キム・フック:裸の少女 [1972]

kim20pucht0.jpg
By Huỳnh CクJ夥g クI碪


ベトナム戦争最中、当時9歳だったファン・ティー・キム・フックさんが空軍から投下されたナパーム弾によって背中や腕などに火傷を負い、泣き叫びながら裸で逃げまどっている様子を捉えた写真。ベトナム戦争の悲惨さの象徴といわれている。
フイン・コン・ウト氏によって撮影されたこの写真は世界中の多くの新聞一面に掲載され、ピュリツア―賞を受賞した。 >> 動画

この写真はかなり有名なのでは?
この動画や、ベトナム戦争関連の他の動画を見ると本当に戦争って恐ろしいものなんだなぁと実感する。
そしてその凄惨さや恐怖をあまりにも知らなさすぎる自分に気がつく。
映像や画像がクリアになりすぎて逆に現実感を失ってる気がする中、こういう動画をみるとドキッとさせられる。。


ケント州立大学銃撃事件 [1970]

kentstate1970ct0.jpg
By John Paul Filo


1970年5月4日、オハイオ州のケント州立大学で連邦警備員によって4人の学生が殺される。 この殺害は各大学キャンパスにおいて何百もの合衆国に対する抗議活動を引き起こした。 ニューメキシコ大学に暴力で会われたデモ参加者もいた。 >> 動画

この事件を知るやいなや、ギターを手に取り曲を作ったアーティストがいます。


クロスビーはヤングの新曲 「Ohio」 が出来上がるのを見守っていた。 「Ohio」はヤングが書いた初めてのプロテスト・ソングだった。曲の素晴らしさに感動したクロスビーは直ちにスティルスとナッシュに連絡を取り、ロサンゼルスでレコーディングの手配を整えた。ドラマーにはダラス・テイラーに代わり、タートルズのメンバーだったジョニー・バーバタが選ばれた。 「Ohio」 は 5月21日の 1日でレコーディングされ、直ちにシングル・リリースの準備が行われた。
5 月29日、 「Ohio」 をレパートリーに加えた CSN&Y は、ボストンでツアーを再開する。 6月 4日、 「Ohio」はレコーディングから 2週間という異例の速さでリリースされた。 『Deja Vu』 からのセカンド・シングル 「Teach Your Children」 もリリースされたばかりでヒット・チャートを駆け上っていた。

ニクソン大統領を名指しで批する 「Ohio」 の放送を自粛するラジオ曲もあった。しかし、シングル・レコードの売り上げが落ちることはなく、遂に 「Ohio」 は 「Teach Your Children」 を追い抜き全米14位のヒットとなった。 「Teach Your Children」 は全米20位に留まったが、作者のナッシュも 「Ohio」 の重要性を理解していた。

CSN&Y Historyより


その曲の歌詞と動画を紹介しておきます。
相変わらずちょー意訳的kotomo訳でコトバを直してありまふ。おかしかったら教えてくださいな。。

Tin Soldiers and Nixon's Coming...
ブリキの兵隊とニクソンがやって来た
                    By Gideon MacLeish

Tin soldiers and Nixon's coming we're finally on our own
ブリキの兵隊とニクソンがついに僕らの街へやってきた
this summer I hear the drumming four dead in Ohio
この夏、オハイオに4つの死を告げるドラムの音が鳴り響いた
Gotta get down to it soldiers are gunning us down
早く身を伏せないと、兵隊たちが銃を向けて火を噴くぜ
should of been done long ago
遠い過去を繰り返してるようだ
what if you knew her and found her dead on the ground
彼女のこと、彼女が地面に倒れこんで死んだって知ってたかい?
how can you run when you know?
それを聞いて、僕らにどう逃げろっていうんだい?

La la la la la la la la la la la la la la la
la la la la la la la la la la la la la la

Gotta get down to it soldiers are gunning us down
should of been done long ago
what if you knew her and found her dead on the ground
how can you run when you know?


Tin soldiers and Nixon's coming we're finally on our own
this summer I hear the drumming four dead in Ohio

four dead in Ohio (repeat and fade)


--Ohio, Crosby, Stills, Nash and Young



アートは人の感性に直接訴えかけてくるけど、歌とはまさにその力を如何なく発揮する最たるもの。
こんなアーティストが増えていくことを祈ります。


無名の反逆者 [1989]

tiananmensquarepm2.jpg
By Stuart Franklin

p_003.jpg
By Jeff Widener


無名の反逆者(むめいのはんぎゃくしゃ)は、1989年6月4日に起こった六四天安門事件の直後、天安門広場に通ずる長安大街の路上で撮影された有名な映像に登場する男のこと。本名がわからないため、「無名の反逆者」(the Unknown Rebel)、「戦車男」(Tank Man) などのニックネームで呼ばれている。

事件翌日の6月5日、彼は天安門事件を鎮圧するために現れた59式戦車の車列の前に立ち、行く手を遮った。戦車は何度も彼を回避するために横に迂回しようとするが、その都度彼は戦車の前に立ちふさがり侵入を防いだ。しばらくそれを繰り返した後、戦車に乗りドライバーとなんらかの口論をしていた様子が、CNNやBBCのクルーによって撮影され、世界中に配信され一躍その姿を知らしめることになった。ビデオ映像は、心配した見物人(または私服警官という説もあるが不明)が彼を群衆の中に引き戻し、戦車が再び行進する場面で終わっている。
[中略]
この印象的な映像や写真は何度も使われ、戦車の前に立って無言の抵抗をした彼は、西側諸国において中国の民主化運動の象徴的存在となった。 1998年4月のタイム誌はこの人物を「20世紀最も影響力のあった人物100人」に選び、2003年に「ライフ」はスチュアートの写真を「世界を変えた写真100」に選んでいる。
Wikipediaより


 >> 動画
:問題のシーンは3:06あたりから。勇気ある行動だけど、殴られやしないか射殺されやしないかハラハラしすぎて心臓に悪い。。


なおこの映像に対し、「この衝撃的な映像には二人の無名の英雄がいる。それは戦車の前に立ちはだかった男と彼を轢かなかった戦車のドライバーだ」という意見がある。


まったくの同意見。
大勢の公衆の面前だったということもあるだろうけど、何より無事でよかった・・・!



ティック・クアン・ドックの焼身自殺 [1963]

thichquangducselfimmolade7.jpg
By Malcolm Browne


1963年6月11日に、当時南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権が行っていた仏教徒に対する高圧的な政策に対して抗議するため、サイゴン(現・ホーチミン)のアメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺した。
彼は支援者たちが拝跪する中、燃え上がる炎の中でも蓮華坐を続け、一切苦悶の表情や声を出さず、絶命するまでその姿を崩さなかった。その強靭な精神力と威厳のある姿はカメラを通じて全世界に放映された。この衝撃的な事件が世界中に放映され、国内の仏教徒に大きな影響を与えることとなった。
ジエムの義妹のマダム・ヌーは、アメリカのテレビインタビューでこの事件を「僧侶のバーベキュー」と評し、国民のジエム政権への反発をいっそう高めることになった。11月にはついにクーデターが発生し、ジエムは決起部隊に殺害されたがマダム・ヌーは生き延びた。
Wikipediaより

 >> 動画
:この焼身自殺の一部始終が実際に放映されたんだよね?
ちょっと信じられない、、観る人に与えた衝撃はすさまじいものだったと思います。

 >> 動画
:ジエムの義妹のマダム・ヌーによる、問題の「坊主のバーベキュー」発言。
こんな発言をする神経をまず疑うけれど、そもそもなんのための発言なのか、それによってどんな効果を期待していたのか、どんな反響が起こるか想像しなかったのか。。
これは人前に出る立場なら考えて当然のこと。
考える知恵がないなら、国民に影響を与える立場として公の席に着くことに対して躊躇してくれ。


世界を変えた報道写真Ⅱへツヅク。


[source]



// no tags

| 00:08 | trackback 0* | comment 2* |


<<世界を変えた報道写真Ⅱ | TOP | いくつになっても現役です>>

comment











管理人のみ閲覧OK


足でふさいだって。。
このコメントだけでも
生なましすぎる。。

2007/07/31 12:26 | kotomo [ 編集 ]


ベトコン捕虜兵の処刑 [1968] の動画を見たことある。
打った後、倒れた彼のこめかみから血が吹き出て、
それを足でふさいでる動画。
リアルな『ディアハンター』。

2007/07/27 00:08 | 川俣 [ 編集 ]


trackback

trackback_url
http://labellavitaet.blog40.fc2.com/tb.php/430-b6b3d64d

| TOP |


07 ≪│2017/08│≫ 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -



Author:kotomo

【twitter】 _kotomo
【tumblr】 kotomo note*モバイル版


  *   *   *


             >> more?
track feed track feed ??????????

kotomo < > Reload

全タイトルを表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。