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2007.05.14 [Mon] + kotomoの中の人 +
プチ失踪と母流子育て

特にそんなたいした理由があったからじゃない。


小6のときに祖父が亡くなった。
初めて身近な人の「死」に触れた。
もちろんショックだったし涙も出た。
けれど泣き崩れるほど取り乱したわけはなかった。
たんたんとこなされる葬式の流れをただただ外から眺めていた。


葬議に関するすべてを終えて自宅へ戻ってきたときのこと。
あのとき時計を見たことをはっきりと覚えている。
たしか午後4時になる少し前くらいだったと思う。
「なら、いっか。」
あたしは普段着に着替えると、そのまま何も言わずに家を出た。
いや、置手紙くらいしたか。
警察に連絡されたらめんどくさいし。


名誉のために言っておくと、こんなことをしたのは初めてだ。
ただなんとなく「ちょっと遠くにいってみようかなー」と思った。
なんか何かがうっとおしかったから。
ちょっと景色が違うところに行きたかった。
ほんの思い付きだったから実行してみようと思ったの。
別に迷惑をかけるつもりはなかったし。





夜も11時をすぎる頃、あたしは泣きそうになりながら家に電話をかけていた。
時間をあまり計算せずに移動していた結果、新幹線を使って帰ってきても高崎についた時点で最寄駅への最終電車はなくなっている。
迎えに来てもらうしかないけれど、そもそも電話にも出てもらえないかもしれない。
自分勝手に出てきたのはいいけど、最後は迎えに来てもらうなんて、
さすがに情けないやら申し訳ないやらで。


電話越しに手短に事情を話して迎えを頼むと、
だまって聞いていた母はすんなりOKしてくれた。
『とりあえずは何とかなりそう。』
ほっと安堵のため息をついた後、迎えが来るまでの30分間、怒られることを覚悟しつつも何とか上手にこの状況の理由づけができないものかとあれこれ頭をめぐらせていた。



「・・・ごめんなさい。」
車の助手席に乗り込むと、まずは素直に謝った。
無言の母。
ピンと張り詰めた空気漂う車内。
帰宅まであと30分。
『うぅ、胃が痛くなりそうだ・・・』
あたしは次に切り出すタイミングを推し量っている。


そのとき描いていたシナリオはこうだ。
傍目に、あたしはどう見たって初めて直面した身近な「死」にショックを受けた多感な小学六年の少女。
喪失感と受け入れがたい現実から逃れるために多少パニックになり、思わず一人になれる場所を探して家を飛び出してしまう。
ショックのあまり周りが見えておらず自分勝手な行動を起こしてしまった。
ふと気がつけばすでに12時近くになっていて、あわてて戻ってきた・・・みたいな。


実際とどこが違うんだといわれると今となっては微妙な気もするけれど、
とにかくおじいちゃんの死にショックを受けた子をアピールすればなんとかなるんじゃないかと、浅はかな考えを持っていた。
そのときのシナリオによれば、謝罪のあとその複雑な胸の内を告白することで
心配のあまり怒りが先立つ母も一方では我が子の無事に胸をなでおろし、一方で『死』に対して不器用に振舞う我が子への対応に戸惑いつつ、結果として
「どれだけ心配かけたと思ってるの!!?・・・・・・おかあさん、あんたまでいなくなったらどうしようかと・・・(涙)」
「(母の涙に気がつき)・・・おかあさん、ごめんなさいっ!!あたしも不安だったの、こわかったよーーっ!!もう二度としないからぁっ!(涙涙涙)」
「このバカッ!!」
「あーんごめんなさいぃぃ」
・・・ってハズだったのよ。


もちろんね、本当に申し訳ないと思ってたし、時間が遅くなるに連れでどんどん不安にもなるし心細かったし、怒られても甘えたかった気持ちも胸一杯。
そこにひとかけらの偽りもないんだけど。
まあ、どこかでは“死に傷ついた少女”というエッセンスを強調することで泣いて謝ればなんとかなるでしょ、みたいな思いがあったのも事実。
そーよね、おかあさんだって不安で仕方なかったよね、と美しい愛の劇場として幕を引くことができるかな、と。
むしろ親子が本音を話すきっかけになったり?みたいな。(照)


切り出すタイミングを計っていたあたしは、早くこの張り詰めた感じから泣いて自分自身解放されたかったという思いも手伝って、ついに口を開いた。


「あの、来てくれて本当にどうもありがとう。いっぱい怒っているだろうしあきれてると思うけど・・・。本当に身勝手だったし反省しています。ごめんなさい。でも迎えにきてくれてすごいうれしかった。本当に本当にごめんね・・・。」
ここで、おかあさんも安堵しつつ怒りつつ戸惑いつつ、のハズだったんだけど。


「・・・いい加減にしなさい!!!」


母はもんのすんごく怒っていた。
ぴぃ・・・。



そりゃそーだ。
そりゃそーなんだけど、さ。


とりあえずその一言でコズルイ計画なんざ、かなたへ吹き飛んださ。
吹き飛んだあげく、ずっと心の奥に押さえこんでいた不安やさびしさがどっと溢れてきて涙がボロボロとまらなくなってさ。
ごめんなさいごめんなさいと繰り返すあたしに母は一言。
「今度こんなことしても、もう迎えに来ないから。」
ヤバイ、この人に見捨てられたらあたし生きていけないかもしれない。
ぐっさりと突き刺さったその言葉の痛みに、あたしはうっすらと危機感を覚えた。


それから家に着くまでの無言の30分間、あたしの胃はキリキリ痛み続けた。


そのあたりからじゃなかろーか。
『うちのおかあさんの子育てテクニックはすごい!!!(だってあたしのおかあさんなんだもん!)』と思い始めて、kotomo流子育て論というものについて考え始めたのは。
なんてーの、うちの母親は子供の言い分を全く無視して意見を押し付けるとか強制するとか絶対にしない。
偏った見方に固執することもないし、可能性をほめてくれるし、チャレンジすることを応援してくれる。
一方で、しかるときあたしはなぜ叱られているかをキチンと理解していた。
そして最小限に叱った後に放置されると、あたしはいやでも何がいけなかったのか考えざるをえなくなるのだ。



小学校1年生くらいの頃、ピアノの練習が大嫌いだった。
母は練習しないならピアノレッスンに行くのをやめなさいといった。
どうせやめさせないだろうとたかをくくっていた。
やめさせられた。
どうしてもまたピアノレッスンに行きたくなった。
おそるおそる「また通いたい」と気持ちを伝える。
「お父さんに聞いてみなさい」と答える母。

夕食のあと、お父さん、お母さんの前に座るあたし。
「またピアノしたいです。」
「ちゃんと通えますか?」
「かよいます」
「ちゃんと練習しますか?」
「れんしゅうします」
「まじめにがんばりますか?おかあさんのいうことを聞きますか?」
「はいがんばります」
「じゃあがんばってピアノが上手になってくださいね」
「はいがんばります」

こうして晴れてまたピアノレッスンに通えることになった。
やめるときも、また通いたいと言い出したときも、ぐちぐちいわれることはない。
ただ、自分が言い出したことには約束と責任がついてまわる。
そのことを見守るようにいつも伝えていてくれた。


ねえ、おかあさん。
おかあさん。
いつもありがとう。



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