オレンジのR+ //
2013.10.12 [Sat] + Art/Design +
「横山大観展ー良き師、良き友」@横浜美術館

「空気を描く工夫はないか」

生涯の師である岡倉天心からの問いかけが、横山大観を新しい日本画表現の模索へと向かわせた。大観は菱田春草と西洋画の手法を研究しはじめ、やがて線描を排し、明確な筆墨と淡彩のぼかしによる大気表現へとたどり着く。その画法は、当時日本画を東洋絵画たらしめる前提と認識されていた墨線を否定したことで画壇の守旧派から猛烈な批判を浴び、非難と揶揄も込めて【朦朧体(もうろうたい)】と呼ばれた。






正直にいおう、わたしは横山大観という、近代日本画壇の巨匠についてなにも知らなかった。どんな作品を描き、代表作はなにか、頭をひねってみてととんと浮かんでこない。せっかくの夜間特別鑑賞会という絶好の機会にめぐりあえたのにこれではあまりにも巨匠に対して失礼だろうと、横浜美術館にむかう電車の中で横山大観という人物についてスマホで調べてざっと目を通していたとき、興味をひいたのは【朦朧体】という言葉だった。

新たな表現の模索。輪郭を持たない、あいまいな表現。色彩へのとりくみ。

光を描くことに注力し、当初は世の中に受け入れられず皮肉をこめて「印象派」と呼ばれた人々と重なった。これまでにも印象派を好んで見てきた身として、自然と朦朧体への興味がわいてくる。

まだ、想像はつかない。




空気を描くとは、輪郭線に捉えきれないものの存在を描くということなのか。その絵の前に立ち、最初に浮かんだのはそんな感想だった。印象派が光を色をつかって「描きだした」としたら、朦朧体とはそこに「含ませて描いた」のかなと。

たとえば雨あがりの匂い。しっとりと濡れた風。たちこめた霧。雲。もや。

肌に触れる湿り気とか、描かれているのはそんなもの。


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横山大観《瀑布四題》


そこに色彩や光の明暗やにじみが加わって、一気に画面の空間が広がっていく。

《雨後》には虹という大気現象まで描かれている。こういう虹の登場はとても珍しい気がして、しばしば見入ってしまった。


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左:横山大観《柳下舟行》 右:横山大観《雨後》


今回の大観展には(写真を撮り忘れてしまったが)朦朧体の代表作のひとつといわれる《菜の花》も来ているので忘れずにチェックしておきたい。こちらは個人が所有しているため、なかなかお目にかかる機会のない代物である。淡く茫洋とした画面に蝶々を飛ばすことで、どこまでも広がる奥行きと幻想的な雰囲気を獲得している。






新しいもの好きで固定観念にとらわれない岡倉天心の存在は、大観にとって尊敬する師と枠をはるかにこえるものだったに違いない。俗人には誤解されやすかった天心を理解し、師の期待にこたえようと一心に努力をつづけた。

その想いたるや、天心の最後となった赤倉では「岡倉先生終焉の地」なる碑を立てたほどである。また東京美術学校には平櫛田中が銅像を作り、そこに『Asia is one』という文字を刻んだのは大観だった。


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横山大観《屈原》


そんな己の敬愛する岡倉天心の姿を描いた《屈原》は必見。漢文の教科書に載っていたあの作品か…!と思いがけない再会に心震えた。厳島神社に収められているこの作品が外に出てくることは滅多にないという。16日までの限定公開なのでお見逃しなく。





第二章 「良き友、紫紅、未醒、芋銭、渓仙」では、朦朧体という表現を得た大観が同時代の優れた画家である友人たちからの影響——構図やデフォルメ、新たな主題の挑戦など、自分の作品へ積極的に取り入れて表現に磨きをかけていく様子を伺い知ることができる。


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左:横山大観《松並木》 中:今村紫紅《潮見坂》 右:横山大観《汐見坂》

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冨田渓仙《筑紫八景》

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横山大観《瀟湘八景》


瀟湘八景とは、中国湖南地方の八つの景勝。古来より描かれてきた瀟湘八景図とは異なり、大観は中国旅行で得た印象に基づき、湿潤な瀟湘地域の光と空気が、季節や時間によって変化していく様を見事に描きだした。

手法こそ違えど、その心に写し取った一瞬の美しさの伝え方はまさに印象派そのものである。





ふいに記憶がよみがえった。

「横山大観」って———あの天才か!!





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※ この写真は昨年国立近代美術館にて開催された「美術にぶるっ!」展において、撮影が許可されていたときのものです。本展に《生々流転》は展示されていません。


どの様に描いたのか想像さえつかないほどの、その大気や水の表現。

圧倒的な迫力を引き込まれるような奥の深さ。精神世界の表現。ぱっくり開いた世界の穴から深淵を覗くような、足下から感動が鳥肌となってまとわりついてくるような心地がした。

そのときの強烈な印象が焼き付いていて、わたしにとって横山大観=水を含んだ世界観を描く天才であり、「空気を描く」こととまったく結びつかなかったのである。

しかしよくよく考えてみれば、大気の表現とはそこにある水の状態や変化をうつしとったものであるとも言えるのではないか…などなど、自分のなかにある過去の感動と結びついたことで一気に目の前が開けた気がした。こんなブレイクスルーがあるから、展覧会めぐりはやめられない。





はじめて《生々流転》をみたときは、いかにしてここまでの表現の境地にたどり着いたのかと唸ったけれど、今回のような壮年期のころの作品を中心に集めた展覧会に出会えたことでその疑問への手がかりを手にすることができたように思う。こういう、自分の中の知識の隙間を埋めていく作業は本当におもしろい。

くわしくないのであまり触れなかったけれど、大観とともに学び腕を磨いて競い合った仲間たち——紫紅、未醒、芋銭、渓仙らの作品も豊富で、あれこれ目移りしてしまったほど。近代日本画が好きにな人には見応えがあったようだ。

ほかに朦朧体以外にもおもしろいなと思ったのは、日本画ならではの遠近感の表現。


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横山大観《秋色》

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《秋色》部分


赤く色づいた紅葉はにじむような表現、手前の竹をくっきりとした描線と描きわけることで、まるで本当に遠くに山々を望んでいるような見事な遠近感が演出されている。この、にじむような独特の表現はやはり墨からはじまる日本画ならではのものだなあと感心してしまった。それを的確に説明できる語彙のない自分の脳みそがにくい。

もっともっとそういう日本画ならではの表現について学んでいこう、と決意を新たにした夜だった。


※ 掲載している写真はすべて主催者の許可を得て撮影したものです
関連リンク
 >> 「横山大観展ー良き師、良き友」公式HP
 >> 【画像で見る】日本画家・横山大観の作品 - NAVERまとめ:後期展示(11/1〜)では《秋声》の代わりに《夜桜》が出ます。《阿やめ(水鏡)》は10/18〜11/24まで。
 >> [Yokoyama Taikan] Depicts a Life of Water in “Eternal Cycle of Birth”:《生々流転》、この大気と水の表現たるや…!

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