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2012.08.17 [Fri] + Art/Design +
エドワード・バーン=ジョーンズと眠りについて

1855年、若者たちは北フランスの大聖堂をめぐる旅に出かけた。先々で出会う教会や大聖堂をじっくり見て回り、ある者はそれらのスケッチに全力を注ぎ、ある者は自分の見たい建築に魅了された。とくに彼らを魅了したのはシャルトル大聖堂だった。この12世紀の建造物は彼らは深い感銘を与え、その彫刻はその後の彼らのデザインにとって特別な意味を持つこととなる。


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By Cornell University Library on flickr
This photo was taken some time in 1865 in Eure-et-Loir, Centre, FR.


ある晩、ル・アーヴルの波止場でふたりの若者が芸術家の道を歩むことを決意する。
ーーバーン=ジョーンズは画家になることを、ウィリアム・モリスは建築家になることを。


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バーン=ジョーンズ(左)とウィリアム・モリス(右)。

モリスとはオックスフォード大学エクスター・カレッジで知り合って以来、生涯の大親友となった。実は二人は入学試験で席が隣同士だった。ただし共通の友人がいなかったため、そのときは交際をはじめるには至らなかった。(10へぇ)


 >> ウィリアム・モリスの「美しいもの」「役に立たないもの」(過去記事):ウィリアム・モリス大好きなの!



■ エドワード・バーン=ジョーンズ


サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones, 1833年8月28日 - 1898年6月17日)は、イギリスの美術家。ラファエル前派と密接な関係を持つデザイナーで、ラファエル前派をイギリス画壇の主流に押し上げた。同時に、自身も数々の精巧で美しい芸術作品を作り上げた。

オックスフォード大学において生涯の友ウィリアム・モリスと出会い、1861年にはアーツ・アンド・クラフツ運動の起点となる共同事業を創始。そして、19世紀末には、その詩情にみちた静謐な画風によってヴィクトリア朝絵画の頂点をきわめる。

[三菱一号館美術館:バーン=ジョーンズ展 -装飾と象徴- 公式HPより]



バーン=ジョーンズの制作活動は多岐にわたり、絵画作品以外にもステンドグラスやタペストリ、タイルのデザインなどに精力的に取り組んだ。

とくにわたしが好きなのはステンドグラス。かつては聖職者をめざし神学を学んでいたジョーンズにとって、教会のステンドグラスデザインに取り組むことはとても意味のあることだったのではないかと思う。生涯を通じてジョーンズは多くのステンドグラスを制作した。


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East Window St James' Church, Staveley, Cumbria (部分)


ジョーンズのステンドグラスは「近づけば人物像の各部が現れ、離れてみれば像と関わりのない色の荘厳さが印象に残る」、、遠くと近くで2つの顔を持つのだという。

ここのページではステンドグラスの全体、さらに拡大表示させて見ることができるのでぜひ見てほしい!近づいて、遠のいて、2つの顔が見えただろうか?

また、ステンドグラスを下から見上げただけでは絶対に見えないような細部にまで丁寧に描かれていることにも注目。これはステンドグラスだけではなく、ジョーンズの作品全体にいえること。


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聖チェチリア・ウィンドウ、クライスト・チャーチ大聖堂
下絵:E・C・バーン=ジョーンズ
製作:モリス商会(1875年)


色彩だけでなく、枠線の配置も個性的だなあと思う。たとえば中央の天使たちの服装部分の枠線を大胆に配することで、平面のステンドグラスであるにもかかわらず、より3人が手前に立っているような遠近感を覚える。おそらくはデザインがより引き立つように意図的に線を足し引きしているんだろうな。



■ 眠りと唯美主義


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《眠り姫》 エドワード・バーン=ジョーンズ 1871

これはテーマ「いばら姫」の初期の作品。以降、彼は30年もの間、このテーマについて作品を描きつづけることになる。

ちなみにこのような「眠り」をテーマにすることは当時それほどめずらしいわけではなく、1860年代中頃にはこの種の絵が現れて以降、唯美主義運動と同一視されていたらしい。いわく、現実逃避的願望が込められているのではないかとか。

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《白のシンフォニーNo.3》 ジェームズ・マクニール・ホイッスラー 1867

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《ユリ》 アルバート・ムーア 1866

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《りんご》 アルバート・ムーア 1875


ムーアいいねムーア。
この色を実際にみてみたい!



■ 2つの連作「ブライアー・ローズ(いばら姫)」


魔女の呪いによってお城のすべての者は長く深い眠りにつく。それを破ることができるのは、勇敢な王子の目覚めのキスだけーーー。ご存知、いばら姫である。

ジョーンズは2つの連作「ブライアー・ローズ」を描いている。



↓こちらは初期の小連作《ブライアー・ローズ》

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《森に入る王子》1870-73

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《王と廷臣たち》1870-73

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《眠り姫》1870-73



↓そしてこちらが新たに第三の場面が加わった大連作《ブライアー・ローズ》。
モリスはジョーンズに依頼されて、それぞれの場面に詩をつけている。
それらもあわせてご紹介。

TheBriarWood1870-1890_1.jpg
《いばらの森に入る王子》1870-90

恐ろしきまどろみが漂い流れる
もつれあう薔薇のあたり。
だが、見よ、運命づけられし手と心を
そはまどろむ呪いを引き裂かんため。


TheBriarWood1870-1890_2.jpg
《会議室》1870-90

戦争の脅威も、平和の希望も
王国の危険と増進も
眠り続け、いつか運命が
その鎖を取り払う日を待つ。


TheBriarWood1890_3.jpg
《中庭》1870-90

この国の乙女の遊園は
いかなる声や手の動きも知らぬ。
眠る水は杯を満たさず
休まぬはずの杼(ひ)も止まって動かぬ。


Thesleepingbeauty1870-1890_1.jpg
《薔薇の部屋》1870-90

ここに秘蔵された恋人が横たわる、
ありとある財宝の鍵が。
来たれ、運命づけられし手よ、贈り物を取りに。
してこの眠れる世界を打ちて目覚めさせよ。



2つを比べてみると、全体的に初期はぎこちなさや不安、「眠り」という非日常性への違和感が出ているのにたいして、後年の方はおだやかでおちついた雰囲気で満たされているように見える。

それは初期の王子は目の前にでくわした光景に恐れたじろいでいるように見えるのに後年では落ち着いていることだったり、初期の姫は長椅子に窮屈そうに横たわっているけど後年ではリラックスし、枕にぐっと身体をあずけてしずみこんでいる様子だったり。まるで抗わず眠りを受容しているかのような・・・。


「触れて、くちづけをすると、魔法が解けた」

   ――― 詩『白昼夢』 テニスン 1842




いばら姫のクライマックスといえば、なんといっても「目覚め」であり「復活」である。にもかかわらず、これら連作だけではなく他に描かれた多くの習作も含め、ジョーンズはけっして「眠りからの目覚め」を描くことはなかった。むしろ「目覚め」そのものより、描きたかったのは「目覚めの一瞬前」であることは、絵にそえられたモリスの詩をあらためて読み返せばわかる。なぜジョーンズは目覚めの場面を描かなかったのか。


このことについて、ジョーンズはこう答えている。

「姫が眠ったままで止めてそれ以上語りたくなかった。その後のことは全ての人々の創意と想像にまかせ、それ以上は語りたくなかったのです」。


TheBriarWood1872-74.jpg
《眠り姫》1872-74

↑こちらが現在「バーン=ジョーンズ」展@三菱一号館に来ている眠り姫。この絵では全体的に色調が統一され、人物の表情もみなおだやかに見える。野いばらの花が花びらを散らすことなく咲いていること、右の人物の抱える楽器の弦も切れていないこと、右上に他にはない砂時計が描かれていることから、より『永遠の処女性』を強調して描いた作品だといわれている。

わたしはこの眠り姫がいちばん好きだな。衣服や布のドレープが連なるように波打っていてうつくしい。砂時計といい、まるで「連続からの永遠の停止」みたい。



■ ジョーンズの眠りとアーサー王


1833年、ジョーンズは友人ケイティ・ルイスに当てた手紙にこんなものを描かれている。

jones_himself.jpg
《芸術の世界に入ろうと試みて悲惨な結果に終わった画家》1883


この"画家"とはもちろんジョーンズ自身のことである。入り込もうとしている作品が「ブライアー・ローズ」だというのもおもしろい。絵の中の世界への憧れと逃避願望。それはいつしか"描く"という行為をこえてジョーンズの願望そのものへとなっていったのかもしれない。そうしてジョーンズの"眠り"は「アヴァロンのアーサー王の眠り」で頂点をむかえる。


Last_Sleep_of_Arthur_in_Avalon.jpg
《アヴァロンにおけるアーサー王の死》1881-98


バーン=ジョーンズはこうして《アヴァロンのアーサー王の眠り》を自分の思いのままにたっぷり時間をかけて仕上げることになった。アーサー王の死はモリスの死(1896年)とも重ねられ、19世紀の終末、古き良きイギリスの終焉とも呼応し、自身の最期とも二重写しになり、制作に熱が入るにつれ、心身ともに消耗が進み、完成は滞った。夏の間婦人が別荘に滞在中、画家は毎日の様に手紙を描いたが、あるときこう記している。「私はアヴァロンに着いた、だがまだアヴァロンに入ってはいない」。来訪者は制作に疲れて寝込んだ画家の姿が「アヴァロンの絵のアーサー王の寝姿と同じ」なのを目撃している。

[『バーン=ジョーンズ展 -装飾と象徴- 』図録より]


また、ジョーンズはこの別荘から手紙を出すとき、自分の住所を「アヴァロン」と記したこともあるという。これらから考えるに、やはりジョーンズはアーサー王の眠り=死を自分のものと重ね、アヴァロンに理想郷をみたんではないかな・・・。

だとすれば、絵の完成をもって、彼はついに絵の中の住人となれたのかもしれない。



アヴァロンはケルト神話アーサー王伝説に見られる孤島。アヴァロンはアーサー王の遺体が眠る場所とされる。モードレッドとの戦いで深い傷を負った彼は、アヴァロン島での癒しを求めて三人の湖の乙女(あるいは異父姉のモーガン・ル・フェイ)によって舟で運ばれ、この島で最期を迎えた。いくつかの異説によれば、アーサー王は未来のいつかに目覚めるため、ここで眠っているだけだという。



     *     *     *



かつて、時代の寵児ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは、まだ若き青年の日のジョーンズとはじめて出会ったあとにこんな鋭いコメントを残している。「ジョーンズという青年がいて・・・・・・『夢の国』に住む一番素敵な若者の一人だ」。それはのちに唯美主義を牽引することとなる彼の、内なる世界観や才能をいちはやく見抜いたのだろう。

ーーーあるいはこの才気あふれる若者がいつか『夢の国の住人』になることを予言していたのだろうか。




まさかそんなできすぎた話、などと笑わないでほしい。

彼らが愛し、描きつづけたのは、神話ともおとぎ話とも区別のつかないうつくしき夢の世界なのだから。





関連リンク
 >> 三菱一号館美術館:バーン=ジョーンズ展 -装飾と象徴- 公式HP:「眠り姫」だけでなく、「アヴァロンにおけるアーサー王の眠り」の別バージョンも来てます。まだ絵の中に入ろうとして入れなかった時期のアーサー王。こちらも是非!
 >> MSN産経ニュース
 >> Wikigallery - Sir Edward Coley Burne-Jones
 >> エドワード・バーン=ジョーンズ - wikipedia
 >> ラファエル前派 - wikipedia

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