オレンジのR+ //
2009.04.10 [Fri] + Nature/Environment +
桜守 #2:円山公園の枝垂桜と桜守の絆

名桜として名高い円山公園の枝垂桜。あの満開の桜を見て圧倒されない人がいるだろうか。あの桜は十六代佐野藤右衛門が世話していることにはすでに触れているが、あの樹は二代目であること、今日のような壮麗な姿があるのは人知れず先代桜守の尽力あってこそだということはご存知だろうか。


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櫻守 (新潮文庫)櫻守 (新潮文庫)
(1976/04)
水上 勉

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水上 勉「櫻守」(新潮文庫)、106頁。

「だが、この京都に、
その頃から桜をかわいがって植える人もいた。
筆頭は広沢の池の宇多野である。・・・」


この宇多野藤平のモデルこそ、当代のご尊父・十五代佐野藤右衛門である。

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園山公園櫻 cherry blossoms in maruyama park by ting0308

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園山公園櫻 cherry blossoms in maruyama park by ting0308



初代の桜は八坂神社が祇園感神院と呼ばれていた頃、その坊の一つ宝寿院の庭にあり、樹齢二百年余りで明治中頃には盛観を極めた。稀に見る名桜で、長く花の糸を引く見事さが人々の目を奪い、明治・大正・昭和と「円山の枝垂桜」「祇園の夜桜」と愛でられた。
その先代の枝垂桜から種をもらってきて自分の畑に撒いたのが、十五代佐野藤右衛門―――つまり当代の父上である。種からは100ほど発芽したものの、戦後まで無事に残ったのはたった4本だけだった。
父はその4本の若木を、息子が生まれた日に記念として庭へ植えたのだった。

ところが戦後まもない昭和22年に惜しまれながら初代の枝垂桜が枯死してしまうと、先代は4本のうち1本だけ息子のために残し、他の3本を京都市へ寄附した。寄付した3本のうち、1本は元の親桜があった場所へ、残りの2本は円山公園の東の外れに植えたのだが、外れに植えたうちの1本は火事で焼け、1本は枯れてしまった。一方、佐野家に残された1本も先代が亡くなってから一ヶ月たらずで後を追うようにして枯れてしまった。
そうして、残った最後の1本が現在の祇園枝垂桜なのだ。


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Luminary by Simple pleazures


先代の桜の亡き後、二代目枝垂桜を植えようとすると、京都市から親桜と同じ場所に植えるよう命じられた。桜は連作に向かない木。二代目枝垂桜はなかなか花をつけなかった。・・・『貧相な桜やな』と陰口を叩かれながらも、先代は毎日のように丹精こめて桜の世話をした。
植え替えた翌年(昭和25年)にジェーン台風が襲ってたときも、先代は暴風雨の中、何時間も幹を抱きついて支えたのだという。

「ほんま、命がけやったと思います。暴風雨の中、親父が幹にしがみついて必死で守り、その翌年、初めての花を咲かせたという、まさに親父の桜守としての魂が入った桜です。その後、だんだんと花をつけるようになって、今では見事な花を毎年咲かせてはる。そんなこともちらっと思いながら、見てもうたら、桜守としては、うれしい限りです」

「この枝垂桜は、わしの親父が命がけで守った桜ですわ。当時の親父の苦労を知ってる人はほとんどいはらへんけど、桜が一番よう知ってるはずですわ」


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Sakura curtain by bananagranola

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Pink falls by bananagranola



当代は、この桜が枯れたときが自分の命が絶えるときだと・・・
先代が亡くなったとき、自宅の庭に植えた枝垂桜までもが突然枯れたからだという。
――― まるで殉死するかのように。

「円山公園の枝垂桜は、わしと同じ八十歳、わしとは兄弟みたいなもんですわ。そう、その兄弟みたいな桜のうち、わしのために、とうちに残しておいた残りの1 本が、不思議なことに親父が死んだ時に枯れたんです。親父が倒れたその年から、なんや桜もおかしゅうなって、じわじわ弱ってきた。なんとかその年は花を咲かせ、花が散った1ヵ月後に親父は亡くなりました。親父の死後、突然、その桜が勢いよく葉を出したもんやから『これなら来年も大丈夫やな』と思った矢先、突然枯れた。不思議なもんでしょう。それまで、親父の手伝いはしてましたけど、親父のように桜にのめりこむとは決めてなかった。でもその時『自分も桜をやらんといかんなあ』と、つくづく思ったんです」

そんな父と桜の奇妙な結びつきを見て、「桜守」を継ごうと決心したという。


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古来より不思議な力を持つといわれている桜の樹。あの名桜と京の桜守たちと間に、こんなにも深くかたい絆が結ばれてたことなど、つゆほど思わなかった。人が桜を見てこころ砕けば、桜もまた同じように・・・。

こんど円山公園を訪れたときには、そんな桜守たちのことを想いながら、幹に寄り添い、桜を見上げてみようと思う。せっかく桜の国に生まれたのだから。


参考リンク
 >> 桜守、京都の桜を語る

| 16:46 | trackback 0* | comment 0* |


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