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2017.07.20 [Thu] + Art/Design +
「戦国!井伊直虎から直政へ」展@江戸東京博物館

江戸東京博物館で開催中の 「戦国!井伊直虎から直政へ」展にいってきました。

この展覧会はNHKで放映中の大河ドラマ「おんな城主 直虎」と連動したものです。
主人公である井伊直虎の波乱に満ちた生涯を中心に、遠江の井伊家がどのように戦乱の世を生き抜き、そして江戸幕府の重臣の地位を獲得していったのか。その過程を周辺の人物や貴重な美術品・古文書を通して知るよい機会になりました。



◆ 直虎の生きた時代


ときは戦国、名だたる武将たちがを領土拡大を目指し、戦いに明け暮れた時代。遠江国井伊谷にて、今川氏に従属していた当主の井伊直盛には娘しかいませんでした。そこで、一族の亀之丞(のちの直親)を将来の婿として迎えることを決めます。
しかし、亀之丞の父・直満が謀反の疑いで今川義元に殺されたことでその状況は一変。その刃は亀之丞にも向けられ、危険を感じた亀之丞は南信濃の松源寺へと身を隠します。離れ離れになるふたり。

「井伊家伝記」によれば、直盛の娘はこのときの悲しみのあまり龍潭寺に出家し、以後「次郎法師」と名乗ったとあります。その「次郎法師」こそ直虎ではないかと言われています。


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《井伊家伝記》享保十五年


その逃亡劇から10余年あまり。井伊谷に戻ることを許された亀之丞は、帰国途中で六所神社に立ち寄り、愛用していた横笛を奉納しました。
大河ドラマでもおなじみのアイテムですよね。


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《青葉の笛》戦国地代


亀之丞は直盛の養子にはいり、直親と名乗るようになります。
直親は別の女性と結婚しますが、なかなかなかなか世継ぎの男子に恵まれません。そこで井伊氏に代々伝わる世継観音像に子授け祈願をします。そうして生まれたのが、のちに徳川家康の重臣となる直政でした。


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《世継観音》戦国時代 十六世紀


最近の調査で、観音像を安置する厨子の背面に「井伊次郎法師」の文字が記されていることが判明しました。


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引用:龍潭寺 観音像の厨子に“次郎法師”の文字 大河ドラマ「おんな城主 直虎」ご当地サイト|NHK静岡放送局


『「次郎法師」が天正3年にこの観音像を、井伊直親を弔うため大藤寺に奉納した』と記されています。井伊家の歴史の史料に「次郎法師」という名前が残されているケースは珍しいんだそう。


1560年、桶狭間の戦いで今川軍に従軍した当主の直盛が討死にし、その後を継いだ直親も、徳川家康との内通の疑いがかけられ殺害されてしまいます。家督を継げる一族のものたちが次々と亡くなり、残されたのは直親の幼子、虎松(のちの直政)のみ。
一族断絶の危機に追い込まれた井伊氏は、出家していた次郎法師を虎松の後見人にたて、家督代行者とします。女城主の誕生です。


『次郎法師』が同国の国衆・井伊氏の事実上の当主を務め、「女地頭 *」と呼ばれた。
  ーーー「井伊家伝記」より


*この時代の「地頭」は「領主」という意味



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《井伊直虎・関口氏経連署状》永禄十一年十一月九日

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部分


直虎という人物がいまだ多くの謎に包まれている理由のひとつは、直虎に関する資料の少なさにあるでしょう。その中でも、直虎の名と花押(現在のサインのようなもの)が見られるのはこの書状のみ。直虎の存在を語るとても貴重な資料です。

月並みな言い方になりますが、本当に直虎という人物がいたんだなあと感慨深くなりました。花押からは筆の運びまで見てとることができます。



◆ そして時代の流れは直政へ


時は経ち。成長した直政は、徳川家康の家臣に取り立てられます。
幾多の抗争を経て、天下人となった徳川家康ですが、その影には有能な家臣たちによる功績がありました。とりわけ、「徳川四天王」の存在は欠かません。酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政ーーー直政の名がそこにありました。


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《朱地井桁紋金箔押旗印》桃山時代 十六世紀
《朱漆塗紺糸威縫延腰取二枚胴具足》桃山ー江戸時代 十六十七世紀


家康は直政を隊長とする部隊に、甲冑・武器類を朱色で統一させます。いわゆる井伊の赤備えです。鮮やかな朱色に金の組み合わせはいまなお美しく、戦場ではどんなにか目立ったことでしょう。

赤備えの鎧を身につけて敵方に猛然と攻め込んでいく直政の姿は「井伊のあか鬼」と呼ばれ、恐れられるようになります。


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《関ヶ原合戦図屏風》江戸時代後期


関ヶ原の戦いにおいて、直政は本戦で活躍するだけではなく、事前に豊臣方の諸将を味方に引き入れたり、戦後の交渉でも徳川方の代表として諸大名と交渉にあたるなど、多大な貢献を果たします。その働きぶりは高く評価され、井伊家の基盤は揺るぎないものになっていくのでした。




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