オレンジのR+ //
2017.06.20 [Tue] + Art/Design +
ジャコメッティ展@国立新美術館

あらゆる無駄を削り取り、引き伸ばされた体。
細く長く伸びるシルエットは、まるでひとの影のようだと思った。



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左《女性立像》1952頃
右《髪を高く束ねた女》1948



この奇妙な彫刻の作り手は、アルベルト・ジャコメッティ。フランスで活躍した20世紀のヨーロッパにおける最も重要な彫刻家のひとりです。線のように長く引き伸ばされた体は重さすら感じさせず、一見とても華奢ではかなげですが、前に立つと、その存在感にただ圧倒されます。


私とモデルの間にある距離はたえず増大する傾向をもっている。
「もの」に近づけば近づくほど、「もの」に遠ざかる。




「見たものをそのまま見た通りに描く」というのは多くの画家たちが挑戦してきたことですが、ジャコメッティの奇妙なところは、その通り作りつづけるうちにどんどん対象がちいさくなっていったことでしょう。ついに人物立像はマッチ箱のサイズまでちいさくなり、細部は失われていきます。

けれどそれの大きさこそが、ジャコメッティにとって見たときのありのままの印象だったのです。


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《歩く男》1959


僕が作りたかったその女性の彫刻は、通りで彼女を少し離れてみたまさにその瞬間の彼女のその見え方(ヴィジオン)を日上位に正確に実現することだったのだ。だから次第に、彼女がその距離で離れていた時の大きさをこの彫刻に与えるようになっていったのだ。(図録より)



その後、ジャコメッティはこの極小化してゆく世界を振りはらうように、より大きな作品の制作へと舵を切っていきます。



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《林間の空地、広場、9人の人物》1950


大きな人物、ちいさな人物、すれ違い、あるいは佇んでいるのでしょうか。表情の見えぬ彼らは、知り合いなのか、偶然居合わせた通行人なのかはわからないけれど、不思議な既視感を得たのは、自分のこころの中にもあるどこかの広場の光景や誰かの佇まいに似ていたかもしれません。ジャコメッティの言う「見た通り」とは、彼のこころに残った光景や印象と同義で、それが思いがけず自分とつながったような気がして。



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《ヴェネツィアの女 Ⅰ-Ⅸ》1956


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左《歩く男Ⅰ》1960
中央《大きな女性立像Ⅱ》1960
右《大きな頭部》1960


そうして辿り着いた本展覧会のメインともいえる間。《歩く男》《女性立像》《頭部》はジャコメッティが後期に好んで制作したというモチーフですが、チェース・マンハッタン銀行プロジェクトのためにつくられたこれらの作品の注目すべきところはその大きさでしょう。抑えられた照明が人の影のような像の足元にさらに影をつくり、観る位置を変えるたびにそのシルエットを揺らし。まるで生きているかのようで、見上げるほどのその男は、まさにいま一歩一歩と進みだしているようでした。

作品が大きくなればなるほど、全体を見渡すためには一定の距離が必要となります。その距離感、鑑賞者であるわたしと作品を包み込む空間が、とても心地よかったです。




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