オレンジのR+ //
--.--.-- [--] + スポンサー広告 +
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


// no tags

| --:-- |


2007.06.30 [Sat] + Days +
方言とkotomo家語

それまで住み慣れた場所を離れて新しい生活を始めたとき、
会話の中で「それどういう意味?」と聞き返されて
初めてその言葉が方言だったと気づくことがあるだろう。

あたしもそうだった。

だからこそ、出身の違う人に伝わらない言葉は
すべて地元の方言なんだろうと解釈してきたのだが、
それらの内のいくつかは地元の友達にも通じないと知ったときの衝撃は忘れられない。

じゃあ、この当たり前のように使い、慣れ親しんできた言葉とはなんなのだ。
一体この言葉たちをあたしは誰から学んだのだろうか。

調査開始からほどなくして、真相は白日の下にさらされることになる。
どうやらkotomo家語というべきものが存在するらしい。
ちなみに発生源はどう考えても母だ。

謎や秘密はそのすべてが明かされたとき、
謎は謎とは呼べなくなり、秘密は秘密を失っていく。




スポンサーサイト

// no tags

| 00:12 | trackback 0* | comment 0* |


2007.06.29 [Fri] + Days +
思春期と眼帯

宣言どおり、今日は東京に来ていた母ともう一度「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」に行ってきた。
本当はもう何度か行こうと思っていたんだけれど、実は少し前から眼帯生活を余儀なくされているため、ちょっと遠慮しておいたのだ。

今でこそ眼帯をすることにまったく抵抗はないものの、ちょっと背伸びしたい年頃あたりにゃ徹底的に拒否したかったりするわけで。


思春期まっさかりの13歳の秋。
はじめて眼帯が必要なほどの目の腫れを経験をしたのは、よりによって父兄や先生さえもビデオ片手にはりきまくる、全校生徒参加の合唱コンクールの前日の夜だった。
引き受けていたピアノ伴奏への影響は、目をつぶったまま弾けるほど指に叩き込んでおいたので心配なかったけれど、せめて明日一日、眼帯をしなくても済む程度に腫れが治まらないものかと悶々した気分を抱えたままろくに眠りもせず朝を迎えた。

きれいなハーモニーをいっぱいに響かせたあと、振り下ろされた指揮棒の動きとともに、あたしは鍵盤から指をそっと離した。
湧き起こる拍手の中、一礼をしてステージを降りると、すでに発表を済ませた他のクラスの友達たちが駆け寄ってきた。
「kotomoのクラス、すごいよかったよ。」
「ピアノ上手だねー。」
まだ残る多少の興奮を味わいながら、えへへありがとー☆とおしゃべりをはずませた。





// no tags

| 22:42 | trackback 0* | comment 0* |


2007.06.29 [Fri] + Photogragh +
世界を変えた報道写真Ⅱ

世界を変えた報道写真Ⅰのツヅキ


ウィンストン・チャーチル [1941]

churchillop2.jpg
By Yousuf Karsh


カナダの写真家Yousuf Karshn氏が撮影したこのチャーチルの写真は、 歴史を色濃く映し出している一枚として国際的に高い評価をうけ、Life誌の表紙を飾った。>> 動画


サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill,)は、イギリスの政治家である。1940年から1945年にかけてイギリス戦時内閣の首相として困難な時期に強い意志と楽観主義をもって憔悴したイギリス国民を激励。戦意を保ち、軍事戦略を立案し、第二次世界大戦を勝利に導く。大戦終結後に再び首相として返り咲く。1946年、ミズーリ州で行った演説でヨーロッパの東西分断を評した「鉄のカーテン(Iron Curtain)」演説を行い、アメリカ・ソビエトを軸にした冷戦の到来を予言した。1965年1月24日に病没した際には、平民のためとしては史上初となる国葬によって葬られた。
2002年BBCが行った「偉大な英国人」投票で第1位となった。(一方でこんな記事も。)
Wikipediaより


チャーチルは文才に秀で、ユーモアやウィットのセンスも広く知られているところです。第二次世界大戦後に執筆した「第二次世界大戦回顧録」は高い評価を受け、1953年にノーベル文学賞を受賞しています。またチャーチルによる名言も数多く残されています。
以下はあたしのお気に入り。

『絶対に屈服してはならない。あきらめてはいけない。絶対に、絶対に、絶対に、絶対に。』

『向上とは変化することである。完璧とは変化し続けることである。』

『危険が身に迫ったとき、逃げ出すようでは駄目だ。かえって危険が二倍になる。しかし決然として立ち向かえば危険は半分に減る。何事に出会っても決して逃げ出すな。決して!』


☆チャーチルの演説に関するリンク

・“政治家のスピーチ・ライターならば、一度は書いてみたいようなものばかりである”という感想と共に、雪斎の随想録でチャーチルの演説の一部が原文+対訳で紹介
チャーチルの反戦論にはロイドジョージ内閣の下陸軍大臣となった時に書いた反戦論の全文あり(和訳済)
西洋軍歌蒐集館に、ウィンストン・チャーチル演説「我らは断じて降伏しない」
1940年6月4日下院にて(音声資料、対訳あり)
・かの有名な「鉄のカーテン(Iron Curtain)」演説(原文+音声資料):
Winston Churchill and the Sinews of Peace Address
・チャーチル演説集(英語音声):Churchill Speech Interactive

こんなのもありますよん。
BBC ヒストリー・オブ・ブリテン #15[Yahoo!動画]
「ウィンストン・チャーチルとジョージ・オーウェル」(00:59:41)

オマケ:チャーチルのオウムがまだ、ヒトラーを呪詛している!?



アルベルト・アインシュタイン [1951]

alberteinstein1951hy8.jpg
By Arthur Sasse


アルバート・アインシュタインは世界中でもっとも有名な人物の一人だろう。彼は20世紀初頭まであらゆる物理学の根本を為すとされていたニュートン力学に真っ向から挑戦し、相対性理論を打ち立てた天才である。
一方、人として、彼は“beatnik(=反体制、反骨精神主義)”であったと言われており、1951年3月14日にとられたこの写真はまさにそれを証明してるといえるだろう。 >> 動画

アインシュタインについて詳しく知りたい方には「アインシュタインの科学と生涯」のページがオススメ☆アインシュタインがどうやって彼の理論を作り上げていったのか、彼の科学・思想・価値観とは何か、そして家族や恋人との関係から見える彼の人間像とは・・・。特に“アインシュタインってどんな人?”の項目で書かれているアインシュタインの長所・短所の記述はおもしろい。


彼には孤高癖があった---アインシュタイン曰く「私は、単独で走る装備をつけた馬のようなものです。二頭だてや集団はだめなんです」彼は科学者としては孤立的であった。そして、おそらく人間的にもそうだった。


またWIREDNEWSで天才アインシュタインの全貌に迫るサイトがいろいろ紹介されています。中でも900点を超える学術論文や手紙などを一般に公開しており、世界で最も魅惑的な精神の持ち主だったアインシュタイン(写真)の思想や感情を細かくたどることができる『アインシュタイン・アーカイブ・オンライン』は必見の価値あり。


// no tags

| 08:15 | trackback 0* | comment 0* |


2007.06.29 [Fri] + Photogragh +
世界を変えた報道写真Ⅰ

人はおろかにも悲劇を繰り返す。
そして過去の痛みを忘れ、美化しようとさえする。

あたしは、知りたい。
そこにどんな人のいやらしい一面がにじみ出ていたとしても、知りたい。
そこから学び取るものを知恵と呼ぶ。

忘れてはいけない歴史がある。
"Images That Changed The World ?"を何回かに分けて紹介していきます。

*タイトルをクリックするとWikipediaに飛びます。関連動画も合わせて紹介。


ベトコン捕虜兵の処刑 [1968]

executionofavietconggueus4.jpg
By Eddie Adams


1968年2月1日に起きたテト攻勢の最中、当時の南ベトナムの警察庁長官グエン・ゴク・ロアンがろくに裁判もしないまま、解放戦線容疑者グエン・ヴァン・レムを多くの報道陣の目の前で自らが射殺した。
AP通信カメラマンのEddie Adamsによって撮影されたこの衝撃的な光景が世界に報道されるやいなや多くの反響を呼び、アメリカ国民の間には「こんな政権を支持すべきでない」と反戦ムードが高まるなど多大な影響を与えることになった。後にこの写真はピュリツア―賞の報道写真部門賞を受賞した。



黒人男性リンチ殺人 [1930]

Thelynching.jpg
By Lawrence Beitler


この有名な写真は、1930年に撮られたもの。白人女性をレイプしてその恋人を殺した若い黒人が1万人もの白人たちの群集によって牢屋から連れ出され、集団暴行を受けて木に吊るされた。『もしこのリンチ写真が白人至上主義者をあおるために作られたのだとしても、拷問された死体とそれをうれしそうに囲むグロテスクな集団は悪趣味以外何者でもないだろう。』 >> 動画



ソウェト蜂起 [1976]

sowetoriotsrs4.jpg
By Sam Nzima


1976年6月16日、ソウェトでは学生たちが「アフリカーンス語(オランダ系の移住民が使う言葉)強制」に反対する抗議集会とデモを展開。彼らは武器ももたず、平和的にデモを行っていたにも関わらず、警察隊が出動した。
ひとりの白人男性の警官が銃を発射したことで、その場はパニックと大混乱になり、約300人もの死傷者を出す流血の惨事へと発展した。
その後、それを契機にれをアパルトヘイトへの抗議運動が南アフリカ全土に拡大していった。最初の犠牲者となった13歳の少年ヘクター・ピーターソンを抱きかかえた写真は、警察の暴力のシンボルになった。 >> 動画

アパルトヘイト(人種隔離政策):
オランダ語で分離、隔離の意味で人種隔離を目的とした差別的政策の総称。様々な法律からなり、白人をあらゆる面で優遇し、有色人種(カラード、インド系、黒人)を差別する政策。様々な公共施設で白人専用と有色人種専用とに分け、人種毎に住む地域を分けた。異人種間での婚姻も禁止されていた。

アパルトヘイトとはどんなものだったのか、恥ずかしながら初めてちゃんと理解した。
まだまだ知らないことが多いなぁ、自分。


// no tags

| 00:08 | trackback 0* | comment 2* |


| TOP | next >>


05 ≪│2007/06│≫ 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30



Author:kotomo

【twitter】 _kotomo
【tumblr】 kotomo note*モバイル版


  *   *   *


             >> more?
track feed track feed ??????????

kotomo < > Reload

全タイトルを表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。