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2016.09.10 [Sat] + Art/Design +
「驚きの明治工藝」展

東京藝術大学大学美術館で開催されている「驚きの明治工藝」の特別内覧会に参加してきました。その感想をまとめてみます。


明治時代、あらゆる分野で写実的な表現の追求がなされ、職人たちは競うように技巧を凝らした作品たちを生み出しました。それらは主に輸出を目的につくられ、実際に海外で高い評価を得るのですが、それゆえ日本でその卓越した技術が広く知られることはなかったのです。ーーー

振り返ってみると、たしかに明治時代の工芸品てあまり見たことがない気がする。どんな作品に出会えるかとワクワクしながら会場へ。



まず入り口で出迎えてくれたのは体長3メートルにもなる、圧倒的な存在感を放つ龍。これ、自在置物なんです。これが見たかった。


odo_me3.jpg
 《自在龍》宗義


自在置物:
鉄や銅などで、龍、蛇、伊勢海老やカマキリ蝶、トンボなどの昆虫を写実的に作り、しかもその動物が本来的に持っている胴や手足などを動かせる機能までをも再現した置物。


戦乱も落ち着いてきた江戸の中頃から鎧兜の需要が減り、職を失いかけた甲冑師たちが技術伝承と収入確保のため、その卓越した技術を応用し自在に動く置物を制作するようになったのがはじまりといわれています。
各パーツを細かく独立させて作り、それらを組みあわせることで、胴体や関節の曲げ伸ばしなどの自由な動きを可能にしているのです。


odo_me22.jpg
 《自在伊勢海老》明珍清春


伊勢海老は触覚を前後に屈伸させたり、腹部を内側に折り曲げることができ、


odo_me19.jpg

odo_me18.jpg
 《自在鷹》板尾新次郎


鷹は羽ばたいたり羽を休めたり。


odo_me24.jpg
 《自在烏》明珍宗春


羽のつくりこみが本当に美しい。
好きなんですよね。うっとりと眺めてしまう。



実際に自在蛇を動かしてみると……

*音がでます



自在蛇にょろニョロ。いや、その「にょろニョロ」できることがすごいんですが。
とても鉄でできているようには見えません…!



もちろんすごいのは自在置物だけではなく。
たとえば、一度彫ったらやり直しがきかない木彫はそれゆえ作り手の力量を如実に反映してしまうもの。だからこそ伝わる技の凄さ。


odo_me5.jpg
 《亀合子》為隆

odo_me50.jpg
 《髑髏に蛇》亮之


骨、歯、蛇。ーーーおなじ木なのに彫りだけでここまで異なる質感をリアルに表現できるものなのかと。


odo_me6.jpg
 《柄杓蛙》宮本理三郎

odo_me7.jpg
 《春日 竹に蜥蜴》宮本理三郎


これらもすべて木彫作品。蛙も蜥蜴も木、どう見ても竹だけれど木。笑
そっくりなだけではなく、生きているぬくもりまで感じられるようです。


中にはあまりのリアルさゆえ、なにでできているか外観からは想像もつかないものもありました。


それぞれ何でできているかわかりますか?


odo_me21.jpg
 《竹筒煙管筒》橋本市蔵


こちらは紙に漆を塗ったもの。
この節の具合といい、どうして紙でここまでつくれるのか……などと考えるのは愚の骨頂、素直に驚いておくのが正解でしょう。


odo_me32.jpg
 《塩鮭》加納鉄哉


この塩鮭は手に取らない限り絶対に作り物だとはわからないはず。
どこからどう見ても塩鮭そのものですが、その素材はなんと牛角!
この展覧会のNo.1騙サレルヨロコビはきっとこの塩鮭だと思います。ただ楽しい。


作品をみて精緻さに驚き、その材質を見て二度驚き。次は何が出てくるのかとワクワクしました。つくる職人の、手に取った人をどう驚かせてやろうとかいういたづら心すら感じられるようで。



ほかにも多岐にわたる技巧の数々。


odo_me10.jpg
 《背負籠香炉》海野勝珉


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 《秋草鶏図花瓶》涛川惣助


odo_me12.jpg
 《薩摩焼送子観音花瓶》藪明山


高さ約12センチほどの小さな花瓶にこれだけの細やかな描き込み…。
過ぎ行く人の足を止めていました。


odo_me31.jpg
 《魚五趣根付》藻泉


わずか3.8×1.5センチの小さな世界。いわばチロルチョコをひとまわり大きくした程度のサイズ感。そこにお魚がてんこもり。
なんとなく食品サンプルが思い出されて、日本人はむかしからこういうものが好きだったのかななんて思ったり。



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2013.10.12 [Sat] + Art/Design +
「横山大観展ー良き師、良き友」@横浜美術館

「空気を描く工夫はないか」

生涯の師である岡倉天心からの問いかけが、横山大観を新しい日本画表現の模索へと向かわせた。大観は菱田春草と西洋画の手法を研究しはじめ、やがて線描を排し、明確な筆墨と淡彩のぼかしによる大気表現へとたどり着く。その画法は、当時日本画を東洋絵画たらしめる前提と認識されていた墨線を否定したことで画壇の守旧派から猛烈な批判を浴び、非難と揶揄も込めて【朦朧体(もうろうたい)】と呼ばれた。






正直にいおう、わたしは横山大観という、近代日本画壇の巨匠についてなにも知らなかった。どんな作品を描き、代表作はなにか、頭をひねってみてととんと浮かんでこない。せっかくの夜間特別鑑賞会という絶好の機会にめぐりあえたのにこれではあまりにも巨匠に対して失礼だろうと、横浜美術館にむかう電車の中で横山大観という人物についてスマホで調べてざっと目を通していたとき、興味をひいたのは【朦朧体】という言葉だった。

新たな表現の模索。輪郭を持たない、あいまいな表現。色彩へのとりくみ。

光を描くことに注力し、当初は世の中に受け入れられず皮肉をこめて「印象派」と呼ばれた人々と重なった。これまでにも印象派を好んで見てきた身として、自然と朦朧体への興味がわいてくる。

まだ、想像はつかない。




空気を描くとは、輪郭線に捉えきれないものの存在を描くということなのか。その絵の前に立ち、最初に浮かんだのはそんな感想だった。印象派が光を色をつかって「描きだした」としたら、朦朧体とはそこに「含ませて描いた」のかなと。

たとえば雨あがりの匂い。しっとりと濡れた風。たちこめた霧。雲。もや。

肌に触れる湿り気とか、描かれているのはそんなもの。


1001taikan24.jpg
横山大観《瀑布四題》


そこに色彩や光の明暗やにじみが加わって、一気に画面の空間が広がっていく。

《雨後》には虹という大気現象まで描かれている。こういう虹の登場はとても珍しい気がして、しばしば見入ってしまった。


1001taikan10.jpg
左:横山大観《柳下舟行》 右:横山大観《雨後》


今回の大観展には(写真を撮り忘れてしまったが)朦朧体の代表作のひとつといわれる《菜の花》も来ているので忘れずにチェックしておきたい。こちらは個人が所有しているため、なかなかお目にかかる機会のない代物である。淡く茫洋とした画面に蝶々を飛ばすことで、どこまでも広がる奥行きと幻想的な雰囲気を獲得している。




| 14:34 | trackback 0* | comment 0* |


2013.03.18 [Mon] + Art/Design +
夜のルーベンスに逢いに

先日Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されたルーベンス展『ブロガー・スペシャルナイト』へ。
閉館後の会場を貸し切る贅沢。まずはルーベンスの描く世界を堪能する。


1827年の4月のある昼下がり、老人と若者が1枚の絵を眺めていた。老人に問われるままに、若者は描かれた情景について語り始める。「いちばん奥には、たいへん明るい空が見えます。陽が沈んだばかりのようです。同じく遥か彼方に村と町がひとつずつ、夕映えのなかで輝いています。画面のまん中に道があって、羊の群れが村へと急いでいます。右手には干草の山が並び、今しがた干草を満載した荷車があります。その脇では、馬具をつけたままの馬が草を喰み、そばの繁みの中でもあちこちで子馬をつれた母馬が草を食べています。このまま夜も外にいるのでしょう。さらに手前には大木がかたまって生えており、最前景左手には、家路をたどる農民たちがいます」

すると老人は、画中の光の向きについてさらに問い掛ける。このソクラテス風の誘導により、若者は、前景の農民たちとその向こうの木立とが相反する側から照らされているという、自然にはあり得ない状況が起こっていることに気付く。そこで老人は、芸術の自律性を自然の必然性に優先させることにより、かえって現実の自然よりも自然らしく美しい自然を画中に現前させているところに、この絵の作者ルーベンスの偉大さを指摘するのである。老人に傾倒し、自然について、人間について、そして芸術について、彼が日々親しく語りかけてくれる言葉を忠実に書き留めるのを喜びとしていた若者、すなわちエッカーマンは、この対話の一部始終も記録に留めた。そこでわれわれは、晩年のゲーテのルーベンス評と、それに託して披瀝された彼自身の芸術観を知ることができるわけである。


 ――エッカーマン『ゲーテとの対話』第3部、1827年4月18日



《アッシジの聖フランチェスコ》の前に立ちながら、そんな話を思い出していた。


rubens-Francis_of_Assisi.jpg
ペーテル・パウル・ルーベンス(工房)
《アッシジの聖フランチェスコ》 1630年代中頃


その背景は一面の空に覆われ、しかも地平線に近づくほど明るく、けれど朝焼けや夕焼けの類とは思えずなんだかこの世の空ではないかのよう。だからこそ空の青さが不思議と目立つ。足元に寄り添う羊。腕の組まれた胸元に差す光もまたなにかの暗示なのだろうか。
宗教画的に細部まで描き込まれた絵が多い中、そのシンプルさと漂う日常的な非日常的背景の絵に自然と目がとまった。


Pieter_Paul_Rubens_Christ_Risen.jpg
ペーテル・パウル・ルーベンス
《復活のキリスト》 1616


その《アッシジの聖フランチェスコ》となりにあったのが、《復活のキリスト》だった。《復活のキリスト》はこのルーベンス展につけられたキャッチコピーを思わせた。「バロックの真髄」。真髄を語れるほどバロックについて知識が深いわけではないんだが、以前のリヒテンシュタイン展で感じ取った「バロックとはなんぞや」というところでの、もっともバロックらしいと感じられた一枚だ。過去記事:バロック美術とは~リヒテンシュタイン展よりバロックの理解を引用すると、


>>>>>>>> ココカラ >>>>>>>


■ バロック美術とは


バロック美術:
16世紀末から18世紀にかけ欧州全域に見られた様式。ルネサンス美術が左右対称や均衡を重視するのに対して、流動的、対角線構図、曲線的、コントラストのはっきりした構図などが特徴で、それらは力強い生命感やダイナミックな躍動感、劇的な感情表現や臨場感を生みだしている。



図録にあるバロック美術の解説がわかりやすくて良かったな。ミケランジェロとベルニーニによる《ダヴィデ像》の比較。ルネサンスとしてミケランジェロを、バロックとしてベルニーニを。


david-Michelangelo-galleria.jpg
ミケランジェロ作《ダヴィデ像》

david-bernini-galleria.jpg
ベルニーニ作《ダヴィデ像》


おなじダヴィデであって、静的で直線的なミケランジェロの《ダヴィデ像》と、身体をひねることでうまれる躍動感、斜めのラインや曲線、"瞬間"感や表情のあるベルニーニの《ダヴィデ像》。全然ちがうよね。バロック的表現とは何なのかつかみやすい。


ちなみに、わたしの中では「バロックとは襞である」ってイメージです。

バロック絵画における流動感と複雑さは襞によって生み出されるもの。相反する要素は襞のように折り重なり、交わりながら調和していく。たとえば絵画における光と影であっても、直線では分離することなく、互いの領域は交じりあい、微妙な曲線とグラデーションとなって描かれたり。

あるいは人の感覚に直接的に訴えかけてくる豪華な装飾や錯視効果を襞のようだと直感的に捉えてもいい。描かれる劇的感情表現とはこころの襞のあり様だし、ぶつかり合うふたつの力によって生じるねじれや歪みは襞ともなれる。つまり、そういうことではないかと。


<<<<<<< ココマデ <<<<<<<


ブロガーナイトの講演会場は贅沢にもこの二枚の絵を背にしていた。時間になるまで椅子に座りながらゆっくりとその二枚を堪能した。


rubwns_night4.jpg
※展覧会場内の撮影は主催者の許可を得ています



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2013.03.06 [Wed] + Art/Design +
ラファエロ展 @国立西洋美術館

入り口をはいってすぐ、そこに彼がいた。

「若く、非常に慎ましやかな外見で、頭に黒いベレー帽を被った感じの良い、好ましい優美さを備えている」ーーその記述どおりの、もっとも知られている彼の "顔" 。


Raphael_Selfportrait.png
ラファエロ・サンツィオ 《自画像》 1504-1505


ラファエロ・サンツィオ。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶ盛期ルネサンスの三大巨匠の一人。ラファエロの描く聖母子が好きでこれまでにも国内外でそれなりに作品をみてきたつもりだが、そんなわたしからこの絵をみてこぼれた一言めは「なんだかラファエロっぽくないなあ」。写真とかでみた印象とは違うってことかな……(じっと見て)やっぱり、ちがう。表情や雰囲気、それらはたしかにラファエロらしい作品なんだけど、なんだろう、んん、、


ラファエロ作品はざっくりと3つに大別できる。ウルビーノ公国の宮廷画家であり詩人でもあった父やウンブリア派の画家ペルジーノからの影響が伺えるペルージャでの修行時代、レオナルドやミケランジェロと出会い、切磋琢磨したフィレンツェ滞在時代、教皇の命を受け居を移しフレスコ画装飾に従事しはじめたローマ時代。

時期からすると、この絵はフィレンツェに来てまもなくの作品である。らしくない、と感じさせるのはなんなのか。言葉にできないざわつきを抱えたまま、ひとまず先へ。



     *     *    *



この展覧会は前述した3つの区分がそのまま章となり構成されている。

 第1章 画家への一歩
 第2章 フィレンツェのラファエロ ーレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとの出会い
 第3章 ローマのラファエロ ―教皇をとりこにした美
 第4章 ラファエロの継承者たち




まず登場したのは、画家としてラファエロの名前が初めて契約書に表れた1500年制作の祭壇画。


Raffaello_God_the_Father_and_the_Virgin_Mary.png
ラファエロ・サンツィオ 《父なる神、聖母マリア》 1500-1501


Angelo_Raffaello.jpg
ラファエロ・サンツィオ 《天使》 1501


そばには師としてラファエロに当時おおきな影響与えたペルジーノの作品も並べられていた。


perugino_santa_giustina.jpg
ペルジーノ 《聖ユスティナ》 1495-1498


が、そもそも大きな影響を与えていただの、ラファエロの作品にはペルジーノの作風が見られるだのいわれても、そもそもペルジーノを知らないんですが(kotomoにはよくあること)。 正直《聖ユスティナ》をみてもピンとこなかったし、、



-----------ってなことで以下はメモ書き-----------


■ ペルジーノ Perugino
1450-1524 | イタリア | ルネサンス フィレンツェ派

15世紀に活躍したウンブリアを代表する画家。本名ピエトロ・ヴァンヌッチ。フィレンツェ派の写実性とウンブリア派に見られる情緒豊かな表現によって優雅でありながら、曖昧さも残す甘美な独自の様式を確立。弟子であるルネサンス三大巨匠のひとりラファエロの作風に大きな影響を与えたが、自身もラファエロから刺激と影響を受ける。


Ritratto_di_giovinettouffizi.jpg
ペルジーノ 《少年の肖像》 1495


cristo_in_pieta.jpg
ペルジーノ 《石棺の上のキリスト》 1495


madoona_col_bambino_angeli_e_membri_dell.jpg
ペルジーノ 《慰めの聖母》 1496-1498


vaticanomadonna_col_bambino_con_quatro.jpg
ペルジーノ 《ピエタのキリスト》


《ピエタのキリスト》はペルージャの宮殿礼拝堂に掲げられていた祭壇画の一部で、その中央部分はナポレオンによってパリに持ち去らたのだが、その際ペルージャ市民のために画家ドメニコ・ガルビによる模写が作成されていた。(のちに本物はイタリアに返還され、ヴァチカン宮殿に納められ現在はヴァチカン絵画館に所蔵されている)


copy_madonna_col_bambino_e_saintidomenico.jpg
画家ドメニコ・ガルビによる《ピエタのキリスト》の模写


比べると一目瞭然。写実的でありながら、柔らかで量感あふれる表現に長けていたようだ。その腕前は「神のごとき画家」と賞賛され、当時イタリア中から注文が殺到した。あのボッティチェッリらと一緒にシスティーナ礼拝堂の壁画装飾にも携わった。


-----------メモ書きここまで-----------


とすると、ラファエロがペルジーノからどのような表現様式を受け継いだのかなんとなく見えてくる。ラファエロらしい優美さの礎はここで築かれたのだろう。




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