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2009.04.18 [Sat] + kotomoの中の人 +
格好良さと型破りと形無しとのっち

昨日から散々かっこいいかっこいいとくり返していたら、ついに「かっこいい」がゲシュタルト崩壊起こしかけた。

カッコイイ、正確には「格好良い」。・・・というか、あれ、そもそも格好良いってどういうことだっけ?

そんなことを考えているうちに、以前、中村勘三郎さんが話していたことを思い出した。

こども電話相談室でね、ある子が「型破りと形無しの違いはなんですか?」って質問してたんですよ。そしたら無着成恭(むちゃくせいきょう)さんがこうおっしゃったんです。

  そりゃあんた、型がある人間が型を破ると『型破り』、
  型がない人間が型を破ったら『形無し』ですよ。

あ、こりゃいただきましたと思いました。


[奇想天外な歌舞伎を生み出す理由 - 中村勘三郎]



昔まだ勘九郎を名乗っていた19歳頃のこと。唐十郎の歌舞伎を見て感動し「俺もあのような歌舞伎がしたい」と、先代の勘三郎(父親)に言ったところ「百年早い。そんなことを考えてる間に百回稽古しろ」と言われたのだが、そこには「古典をしっかり学んで自分の型をつくれ。未熟な者が土台も無いのに新しいことをやるな」という意味が込められいた。しかし当時の勘九郎にはまったく伝わっていなかった。

そんな折、たまたまラジオから流れてきた成恭さんの言葉を聞き、はじめて先代勘三郎の言葉の意味がわかったらしい。


この、歌舞伎でいうところの『型』こそ、『格好』に当たるもんじゃないかな、と思った。型とはいちばんの礎となるもので、芯となる得るもの。普遍であり、不動であり、初心を持って立ち返る場所。つまり人でいう、スタイルや姿勢や態度、あるいは生き様や美学や信念、己の在り方等々。

そういうものを自分の中に持っていて、且つブレずに貫き通す人のことを私は『格好良い』と呼んでるんじゃないかな。ああ、だから達郎さんをみると「とにかく格好良い!!」しか出てこないんだ。そう一人で納得した。


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2009.04.17 [Fri] + Days +
「山下達郎 Performance 2008-2009」がかっこよすぎる件

「山下達郎 Performance 2008-2009」@中野サンプラザに行ってきました!


20090416233607s.jpg


実に六年ぶりとなるこのツアー。しかも今日は達郎さんのホームグランドである中野サンプラザ初日、しかも最前ブロックとくれば、どうしたって期待値は上がりまくりだったわけですが。

もー本当にかっこよかった!とにかくかっこよすぎる!!すごいとか上手いとか神懸かってたとか、言いだせば本当にキリがないんだけど、それでも私は「めっちゃくちゃかっこよかった!!」と言いたい。だーさんが「本物のプロのステージがどういうものか、ずっと見せてあげたいと思ってた」とくり返し言っていた意味がよくわかったもん。達郎バンド素敵すぎるわ。正直、ライブというものの概念が変わりました。カッティングがあんなにかっこいいもんだとは思わなかったし!


20090416214949s.jpg


今回は先にも述べたように6年ぶりのステージであり、また"新譜なきツアー"としては実に四半世紀振りだったそうですが、久々の全国ツアー敢行を決断させた理由を一つを話して下さいました。

大阪にある多目的ホール「フェスティバルホール」はその音響の良さから『音の職人』『日本一のホール』と称されてきました。世界的にも評価が高く、名指揮者カラヤンも絶賛したほど。しかし近年、建物の老朽化を理由にこのホールの取り壊し・建て替え計画が発表され、ミュージシャンやクラシック関係者から数多くの反対の声が寄せられました。フェスティバルホールに強い想い入れがある達郎さんもまた「カーネギーホールやオペラ座を壊すに等しい愚行」だと存続を強く訴えたのですが、結局フェスティバルホールは昨年末いっぱいで閉鎖されることとなったのです。

しかし、最後まで異を唱え続けた達郎さんの"ホールに対する熱い想い"にこころ打たれたホール責任者が、なんと年末の四日間ホールのスケジュールを達郎さんのために空けておいて下さったそうです。どうぞご自由にお使いください、との申し出に達郎さんは

「ならライブをやろう」、

「どうせなら全国をまわろう」。


いま全国各地で、同じように2000人規模の多目的ホールの閉鎖が相次いでいるそうです。この規模のホールは、多くの場合、ホテルや商業施設と一緒に経営されているため、ホール運営以外での赤字分が足枷となり、結果ホールまでも切り捨てざるを得ないケースが増えているそう。かくいう中野サンプラザも同じ運命をたどっていたところを、中野区が赤字覚悟で買い上げてくれたのですが、それも10年先までの運営という話になっていて、つまりあと数年でクラッシュする運命なんですよと。そんな話、全然知らなかった、、

フェスティバルホール取り壊し後には新たに2つの超高層ビルが建て替えられ、そこには"新"フェスティバルホールも誕生します。世界が認めたフェスティバルホールの音響を再現すべく、専門家チームが一丸となって取り組むそうですが、はたして・・・。



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2008.08.06 [Wed] + コトノハ +
さかなクンより、「いじめられている君へ」。

以前、朝日新聞の朝刊に「いじめられている君へ」と題して
数々の著名人がいじめについて語っている連載があったそうです。

ある番組では魚博士としておなじみの『さかなクン』が執筆した記事が紹介されていて
それはとても心に響き、同時に深く考えさせてくれるものでした。
そしてどうしてもその記事の全文を読んでみたくなった私は、ついに図書館へ

以下、その全文を転載させて頂きます。

■ 広い海へ出てみよう
               東京海洋大客員助教授 さかなクン


中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。

でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃しはじめたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子が現れます。

広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じ込めると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、はげましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。

ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。

[ source:朝日新聞 06年11月26日付 ]




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2008.05.14 [Wed] + コトノハ +
花語らず

  花はだまって咲き、
  だまって散って行く。
  そして再び枝に帰らない。
  けれどもその一時一処に
  この世の全てを託している。
  一輪の花の声であり、
  一枝の花の真である。
  永遠に滅びぬ生命の喜びが
  悔いなくそこに輝いている。

                 ~故・柴山全慶老師「花語らず」より


柴山全慶老師(1894~1974)とは京都・南禅寺で管長を務めた方で、
こよなく花を愛でられたそうです。


| 19:08 | trackback 0* | comment 0* |


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